瑞巌寺は、1600年に伊達政宗が仙台城下の経営を始めるとともに改めて重要視しされ、桃山文化の粋を集めた伽藍が1609年に再興、伊達家の菩提寺となりました。海岸にも五太堂や観瀾亭が造られ、”日本三景”と言われた松島の中心となり、更に和歌や俳句、漢詩、絵画など、紀行アートのメッカになりました。 |
平泉は、平安末から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏四代の栄華が実現されたところです。
マルコポーロの『東方見聞録』は日本を”黄金の国ジパング”と呼んでいますが、それは都へ金を送り出した平泉文化がもたらしたものだとも考えられております。
中尊寺、毛越寺は平泉文化の中心として栄え、光り輝く金色堂や浄土庭園が黄金文化の象徴となっておりました。 |
立石寺は、慈覚大師の遺体を運んで納葬したという入定窟もあり、信仰の一大拠点となりました。山形県は古来紅花の産地であり、紅花は染料となり織物となって最上川の舟運で酒田港に集まり、北前船で京・大阪に運ばれて日本文化の礎となってきました。立石寺は、最上・出羽のくにを守る寺として、紅花の往来なども見守ってきたのです。 |