古より多くの人を魅了している松島ですが、明治時代の変換と革新の中で、二つの大きな要素が松島を支え後押ししました。
一つ目は景色・景観が公的に認められたことです。明治35年(1902)に県立自然公園、大正12年(1923)に名勝、そして昭和27年(1952)には特別名勝にそれぞれ指定されています。更に近年、平成28年(2016)には「政宗が育んだ“伊達”な文化」として日本遺産の指定を受けました。
二つ目は鉄道の開通です。明治5年(1872)の新橋~横浜間の開通に続き、同24年(1891)上野~青森間の鉄道が開通すると松島への交通は海路から陸路へと次第に代わっていきます。
これらの要素によって、それまでの霊場・聖地という観念に加え、観光地として、更に多くの文化人、研究者、政治家など、風雅に憧れる文人墨客が松島を訪れるようになりました。
松島のこの壮大な八百八嶋の景観は、人の思いを超越した魅力にあふれて、来松者の五感を刺激し、不思議と芸術の琴線に触れ、何かを生み出したくなる衝動に襲われるようです。また、松島を深く愛し、松島の良さを全国に発信し観光に繋げようと活動された地元の人々の作品も数多く生まれました。
松島の文化を継承する役割を担う瑞巌寺には、松島の風景や印象・感動を表現した絵画・俳句・和歌・書が沢山遺されています。
日本の鉄道開通から150年、上野~青森間の鉄道開通から130年、松島に電車が走って100年、特別名勝指定を受けて70年、明治以降の松島に触れることで、新たな魅力を見つけていただけたら嬉しく思います。
冬の冴え冴えとした月、雪を寒そうに被った五大堂、春のおぼろ月、木々の緑と桜のピンクが入り交じる風景、吹き抜ける潮風、茜色に染まり始める夕暮れ、皆さんの知っている松島はどのような松島でしょうか。
作品名称 | 筆者名 | 数量 | 時代、他 | |
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1 | 西行図 | 千葉勇作 | 1面 | 平成 |
2 | 松島十二景屏風 | 相山公秀 | 六曲半双 | 昭和 |
3 | 松島図屏風 | 相山公秀 | 二曲半双 | 昭和 |
4 | 松島図屏風 | 伊藤武陵 | 二曲半双 | 昭和 |
5 | 白鷗楼扁額 | 伊藤博文 | 1面 | 明治/寄託品 |
6 | 白鷗楼の記 | 小倉茗園 | 1幅 | 明治42(1909)/寄託品 |
7 | 大宮司雅之輔翁像 | 秀山 | 1幅 | 昭和15(1940) |
8 | 寄漁村之曙図 | 秀山 | 1幅 | 昭和16(1941) |
9 | 福浦島遠望 | 秀山 | 1幅 | 昭和16(1941) |
10 | 青緑松洲図 | 田中柏陰 | 1幅 | 大正8(1919) |
11 | 俳句「千貫乃風」 | 滝川愚佛 | 1幅 | 近代 |
12 | 松島図 | 佐久間鉄園 | 1幅 | 大正 |
13 | 七字一行「八百青螺」 | 渋沢栄一 | 1幅 | 大正6(1917) |
14 | 書四体「観月楼」 | 中林梧竹 | 4幅 | 明治27(1894) |
15 | 松島詩「雪霽暁天」 | 大町桂月 | 1幅 | 大正11(1922) |
16 | 俳句「松島や」 | 十一世花本聴秋 | 1幅 | 昭和7(1932) |
17 | 松島看月詩 | 永坂周二 | 1幅 | 大正 |
18 | 俳画「帆掛舟図」 | 石神華城 | 1幅 | 近代 |
19 | 瑞巌寺参道図屏風 | 悌吾 | 二曲半双 | 近代 |
20 | 瑞巌寺庫裡 | 佐藤華岳 | 1幅 | 昭和 |
21 | 松島真景図(部分) | 笠原愷泉 | 1巻 | 明治29(1896) |
22 | 版画「松島道中」の内 | 遠藤速雄 | 7面 | 明治 |
23 | 図書『松島金華山漫画之旅』 | 1冊 | 大正12(1923) | |
24 | 版画「奥羽御巡幸松島天覧之図」 | 三代安藤広重 | 1面 | 明治 |
25 | 石版画「陸前松嶋之真景」 | 未詳 | 1面 | 明治 |
26 | 石版画「松嶌之景」 | 星野茂三郎 | 1面 | 明治23(1890) |
27 | 版画「日本名勝図会 松島」 | 小林清親 | 1面 | 明治29(1896) |
28 | 版画「月の松島」 | 川瀬巴水 | 1面 | 昭和 |
29 | 版画「松嶌材木島」 | 川瀬巴水 | 1面 | 昭和8(1933) |
30 | 版画「松島双子島」 | 川瀬巴水 | 1面 | 昭和8(1933) |
31 | 版画「松島五大堂の雪」 | 奥山儀八郎 | 1面 | 昭和24(1949) |
32 | 版画「松島五大堂」 | 笠松紫浪 | 1面 | 昭和29(1954) |
33 | 図書『松島案内』 | 1冊 | 明治21(1888) | |
34 | 図書『塩松勝概』上下 | 2冊 | 明治25(1892) | |
35 | 図書『趣味の松島』 | 1冊 | 昭和10(1935) | |
36 | 図書『風韻の松島』 | 1冊 | 昭和32(1957) | |
37 | 松島焼煎茶器揃 | 一揃 | 近代 | |
38 | 埋木角盆「松島御島之景」 | 1面 | 近代 | |
39 | 実竹 | 1本 | 近代 |
月が照らし出す波間の光の道は、島々の幽玄な景色を際立たせる。この景色が人々を「此土浄土(この世の浄土)」へと誘う。それを見事に表現している。
川瀬巴水(1883~1957)は東京出身。日本画を学んだ大正・昭和期の木版画家。生涯を通じて詩情的な風景版画を描き続けた。
雅之輔翁は観光地松島の知名度普及に大いに貢献した人物。物産業・旅館業の傍ら、名士として社会的慈善活動を行う一方で、書画の収集という道楽兼実益の趣味があり、こちらは「白鷗楼文庫」の名前で瑞巌寺に収められている。画像は雅之輔翁晩年の姿。張った額、固く引き結んだ口元に翁の真面目さがよく描かれている。
筆者・秀山は未詳。
「白鷗楼」は瑞巌寺門前で旅館・物産店を営んでいた大宮司雅之輔翁の事業の一つである旅館の名前に由来する。名士・文人墨客が宿泊したサロンに白鷗楼と命名したのが明治の元勲伊藤博文(1841~1909/初代総理大臣)である。木造二階建ての純日本式旅館で、白鷗楼の二階に同扁額が平成9年(1997)まで掲げてあった。
代表的な書体の内、四つの書体「隷書」「草書」「行書」「楷書」(写真右より)で表したもの。自由闊達な筆が味わい深い。落款・印章共にないが、明治期を代表する書家・中林梧竹(1827~1913)の筆と考える。梧竹は明治27年、東北遊歴で仙台・松島を訪れている。その折観月楼で揮毫したものか。観月楼は大宮司雅之輔翁が運営した旅館の一つ。
竹駒神社(宮城県岩沼)の随身門の扁額は、明治27年に宮城県を訪れた際に書かれたもの。
(左:扇谷/右:瑞巌寺)
仙台協賛会は大正11年に<漫画の旅> を企画し、東京の新聞関係漫画家を主要メンバーとする「東京漫画会」17名(在田稠、池部鈞・北澤楽天、宮尾重男、山田みのる、など)を鹽竈、松島、鳴子、石巻、金華山、仙台に招待している。各地で特別な「おもてなし」をうけた旅の内容は記事として所属する新聞に挿絵と共に掲載され、更に一冊の本となって翌年発行された。時を賑わす人気漫画記者による船と鉄道の旅は、以降の観光に大いに貢献したと考える。
講座 | 『松島金華山漫画之旅』を読み解く(前編・後編) 瑞巌寺宝物課 尾暮まゆみ |
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日時 | 【終了しました】 後編:令和5年3月18日(土) |
場所 | 宝物館 地下 会議室 |
定員 | 高校生以上 20名 |
料金 | 拝観料のみ 700円 |