― 昭和27年開館 ―
1952.8.13
― 館内マップ ―
― 次の世代へ伝えるために ―
「松島青龍山瑞巌円福禅寺」の寺名が示すように
長い歴史を有する当山には、様々な時代の文化財が伝えられています。
宝物館・青龍殿は、その活動を通して、
地域の宝でもある寺宝を
次世代へつなぐ役割を担っています。
― 本堂が登録博物館に ―
昭和27年(1952)に博物館法が施行され、宮城県内で瑞巌寺を含む4施設が登録を受けます。
同年8月13日、住職・三浦承天老師を初代館長とし瑞巌寺博物館が発足。
翌28年に国宝指定される本堂はじめ、庫裡や廊下・御成玄関などの建築物群を
博物館施設として公開しながら禅寺の年中行事も行う、活きた博物館です。
昭和49年(1974)、宝物館・青龍殿(旧館)が現在の場所に開館。
本堂の公開とともに、宝物館では企画展の開催、調査研究など、
博物館として活動の幅を広げていきます。
平成7年(1995)、旧宝物館の規模を拡大して現在の新館を建設。
重要文化財の五大明王像や本堂障壁画群を収蔵する施設を設け、地階を主な展示スペースとし、
古代から現代まで様々な資料を展示しています。
木造五大明王像 5躯 平安時代
雲版 1面 鎌倉時代・嘉暦元年(1326)
本堂障壁画 161面・附50面
江戸時代・元和6~8年(1620~22)
仏涅槃図、釈迦説法図、法身性西像、蘭溪道隆像、明極聰愚像、木造伊達政宗甲冑倚像、梵鐘、脇差
この脇差は政宗公の20回忌に当たる明暦元年に、2代藩主忠宗公が廟所である瑞鳳殿に奉納したもので、銘の5月24日は政宗公の命日です。戦後伊達家より改めて瑞巌寺に奉納されました。
同時期に作刀され仙台東照宮に奉納された脇差(仙台市博物館所蔵)とともに「巨刀」として知られ、家紋を散らした金梨地の豪華な拵(こしらえ)も付属しています。
文化財保護の観点から期間を制限して公開しています。
【公開予定はホームページにてお知らせいたします】
仙台藩歴代藩主画像はじめ伊達家から寄進された絵画・書跡・茶碗等の美術工芸品、当山歴代住職肖像画や、臨済禅文化が創出した墨跡、北条政子が見仏上人に寄進した舎利など霊場松島の信仰に関わる資料、中世円福寺に関する文書・発掘出土品、板碑、能面、日本三景松島に関する絵画や書跡等。
「師弟の絆 ―こころでつながる禅の教え―」
会期:令和6年9月26日(木)~令和7年1月19日(日)
本堂の「上段の間・上々段の間」の2室を宝物館内に部屋ごと再現した特設室を設け、国の重要文化財に指定されている障壁画の原本(元和6~8年・1620~22年制作)を収蔵保存しています。
上段の間は瑞巌寺を参詣した仙台藩主が着座する部屋で、障壁画には「梅竹図」「牡丹図」「花木図」が描かれています。一段高い左手の上々段の間は天皇、皇族をお迎えするために造られたと伝えられている部屋で、「紅白椿図」「竹図」が描かれ、天袋の戸襖には、聖天子の治世時に出現するという天女や迦陵頻伽が舞っています。
筆者は長谷川等伯の高弟とされる長谷川等胤。政宗公に招かれ、上々段の間・上段の間・文王の間の絵を描いています。取り壊された仙台城大広間の往時の姿を知る貴重な遺構です。
文化財保護の観点から期間を制限して公開しています。
【公開予定はホームページにてお知らせいたします】
本堂の障壁画121面は国宝の建物とは別に、国の重要文化財に指定されています。元和8年(1622)に制作された画は汐風や寒暖、乾湿の落差の激しいこの松島の地にあって度々修理が行われてきましたが、昭和60年(1985)度から始まる保存修理事業の事前調査で、これ以上現地本堂での保存は不可能と判断されました。そのため修理と並行し、模写を制作して本堂に建て込み、原本は保存する事が決定されました。修理は京都の(株)岡墨光堂、復元模写制作は(有)六法美術が担当し、本堂内は数面ずつ模写に置き換わり、平成9年(1997)に板戸絵の模写が建て込まれ、全ての事業が完了しました。現在本堂には、墨絵の間を除き、現代の絵師により精巧に復元模写された障壁画が建て込まれ、描かれた当初の華麗な姿を再現しています。
瑞巌寺では、当時主流であった現状模写ではなく、あえて描かれた当初の姿を再現する復元模写を選択しました。この試みは後に続く各所の模写事業に少なからず影響を与えたといえます。